くだらないことを雑多に書いている駄ブログです
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時は流れ、二〇〇七年。
気付いてみれば、映画を観たときから十五年以上の月日が流れました。
そして先日、僕は劇場版『サイレントメビウス』の1、2を思い出したら懐かしく観たくなったため、近くのレンタルショップに行って来たんです。でも、既にその店でレンタルはされておらず、俗に言うレンタル落ちという形で販売されているだけでした。
価格はそれぞれ二百円。そんなところにも、あらためて時間の流れを感じましたね。
返却の手間がなくなったと考え、僕はそれを購入して無事に作品を視聴することが出来たわけです。
一緒に映画を観に行ったAくんは、この二本のビデオを所有しているので、僕は彼がそれを購入したときにも共に観ているんですが、それも十年以上前のことですから、かなり久し振りに観たということになりますね。
やっぱり結構内容を忘れていて、「そういえば、こうだったなぁ……」とか思いながら観てましたが、物語から受ける印象も当時とは違う感じがしましたね。
ただ、本当に懐かしかったです。観終わったときに、少し切なくなるくらいに。
この当時はちょっと悪い仲間と遊んでたりしていた反面、こういうオタクい世界にも踏み込んでいたという、なんとも妙な時期だったわけですね。
悪友連中との間では、その繋がりで知り合った女性に恋したりしましたけど、オタクい方面ではファンタジー小説を合作で書こうとしたりしてました。
夜に彼の家に行って、登場人物やエピソードを一緒に考えたりしながら、朝になったら朝食まで頂いたりしたことも何度かあります。
肝心の小説は、結局完成することはなかったんですけどね;
今振り返ってみても、やっぱりオタクいなと思います。
今でもオタクい面はあるくせに、当時オタクいことに時間やお金を費やしていたことを、世間的なウケが良くないこともあってか、僕はなんだかマイナスなことをしていたような気がして、少し悔やんでいる面がありました。
でも、ふと思ったんですよね。
そういう過去も、僕の青春の一ページと呼ばれるようなもののひとつであり、僕という人間の歴史の一部なんだろうなって。
今の僕には、オタクいことに限らずあの頃のような情熱みたいなものがありません。
そのためか、あの頃に戻れるものなら戻りたいとか思ったりします。それは、時間としてより“あの頃の自分”という意味合いが強い気がしますけどね。
熱くなれるものもなく、ただ惰性のように呼吸をし、日々病的症状に悩まされて過ごしている現在の自分には、「どうして生きているの?」という自問自答をせずにいられません。
あの頃の僕が現在の僕を見たら、きっと嘆くだろうな……とも思ってしまいます。
誰しもいつかはこの世から消えてしまうのですから、人生は楽しく過ごした方が良いです。
そう考えたとき、誰かに迷惑をかけるようなことじゃなければ、情熱を傾けられる何かというのは、あった方が良いですね。
もう一度、あの頃みたいな情熱を取り戻したい。
これが、現在の僕の大きな望みのひとつなんですけど、世の中のものは変化するのが当然であり、人の心もまた例外ではないと思っている面もあるので、実際のところそれを取り戻すのはちょっと難しいかなと考えていますが、出来ればなんとかしたいと思っています。
せめて、あの頃の僕が現在の僕を見ても、「まぁ、良いんじゃない」と思えるような、それくらいの生き方はしたいものです。
こんな感じで、相変わらず過去ばかりを振り返る後ろ向きな僕ですけど、とりあえず限界感じるまでは生きようと思ってます。
気付いてみれば、映画を観たときから十五年以上の月日が流れました。
そして先日、僕は劇場版『サイレントメビウス』の1、2を思い出したら懐かしく観たくなったため、近くのレンタルショップに行って来たんです。でも、既にその店でレンタルはされておらず、俗に言うレンタル落ちという形で販売されているだけでした。
価格はそれぞれ二百円。そんなところにも、あらためて時間の流れを感じましたね。
返却の手間がなくなったと考え、僕はそれを購入して無事に作品を視聴することが出来たわけです。
一緒に映画を観に行ったAくんは、この二本のビデオを所有しているので、僕は彼がそれを購入したときにも共に観ているんですが、それも十年以上前のことですから、かなり久し振りに観たということになりますね。
やっぱり結構内容を忘れていて、「そういえば、こうだったなぁ……」とか思いながら観てましたが、物語から受ける印象も当時とは違う感じがしましたね。
ただ、本当に懐かしかったです。観終わったときに、少し切なくなるくらいに。
この当時はちょっと悪い仲間と遊んでたりしていた反面、こういうオタクい世界にも踏み込んでいたという、なんとも妙な時期だったわけですね。
悪友連中との間では、その繋がりで知り合った女性に恋したりしましたけど、オタクい方面ではファンタジー小説を合作で書こうとしたりしてました。
夜に彼の家に行って、登場人物やエピソードを一緒に考えたりしながら、朝になったら朝食まで頂いたりしたことも何度かあります。
肝心の小説は、結局完成することはなかったんですけどね;
今振り返ってみても、やっぱりオタクいなと思います。
今でもオタクい面はあるくせに、当時オタクいことに時間やお金を費やしていたことを、世間的なウケが良くないこともあってか、僕はなんだかマイナスなことをしていたような気がして、少し悔やんでいる面がありました。
でも、ふと思ったんですよね。
そういう過去も、僕の青春の一ページと呼ばれるようなもののひとつであり、僕という人間の歴史の一部なんだろうなって。
今の僕には、オタクいことに限らずあの頃のような情熱みたいなものがありません。
そのためか、あの頃に戻れるものなら戻りたいとか思ったりします。それは、時間としてより“あの頃の自分”という意味合いが強い気がしますけどね。
熱くなれるものもなく、ただ惰性のように呼吸をし、日々病的症状に悩まされて過ごしている現在の自分には、「どうして生きているの?」という自問自答をせずにいられません。
あの頃の僕が現在の僕を見たら、きっと嘆くだろうな……とも思ってしまいます。
誰しもいつかはこの世から消えてしまうのですから、人生は楽しく過ごした方が良いです。
そう考えたとき、誰かに迷惑をかけるようなことじゃなければ、情熱を傾けられる何かというのは、あった方が良いですね。
もう一度、あの頃みたいな情熱を取り戻したい。
これが、現在の僕の大きな望みのひとつなんですけど、世の中のものは変化するのが当然であり、人の心もまた例外ではないと思っている面もあるので、実際のところそれを取り戻すのはちょっと難しいかなと考えていますが、出来ればなんとかしたいと思っています。
せめて、あの頃の僕が現在の僕を見ても、「まぁ、良いんじゃない」と思えるような、それくらいの生き方はしたいものです。
こんな感じで、相変わらず過去ばかりを振り返る後ろ向きな僕ですけど、とりあえず限界感じるまでは生きようと思ってます。
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